
は七十七歳になった今も診療を続け、手術室に立っている。
時に人から尋ねられる。「なぜ、まだ続けるのですか」
同世代の多くはメスを置き、それぞれの人生を歩んでいる。
私自身も五千例を超える脊椎手術を経験し、多くの患者さんとの出会いに恵まれてきた。
それでも私は歩みを止めようとは思わない。
それは過去への執着ではない。
名誉や地位への未練でもない。
私には今も、未来の一点から目を逸らすことができない理由がある。
振り返れば、私が脊椎外科に本格的に取り組み始めたのは五十代になってからであっ
た。その頃、私は某脳神経外科専門病院の院長を務め、専門は脳血管障害であった。
当時の私は、現在語るような医療哲学を持っていたわけではない。
脊椎外科に転向した理由は、病院経営の責任者として経営基盤を安定化させる必要が
あった。そのために診療科増設を考えたが、医師不足が深刻であり外部から医師を獲得することは
極めて困難な時代であった。結果、私自身が脊椎外科設立の先鋒を切るしかなかった。
脊椎外科に転向してからは、ただ一日も早く脊椎外科医として成長したい。
患者さんを治せる手術を身につけたい。
その一心であった。
私は頸椎変性疾患を専門とされた金沢医科大学脳神経外科初代教授、故角家暁先生の
門下生である。しかし専門領域が異なったため、頸椎変性疾患の診療や手術について
直接指導を受ける機会はなかった。それでも頸椎には馴染みがあったが、
腰椎変性疾患は私にとってはまったく未知の領域であり、恩師と呼ぶべき特定の指導者は後にも先にもいない。
だから私は、自ら考え、自ら学び、自ら答えを探し続けなければならなかった。
しかし、振り返ってみると、私を啓発し育ててくれた最大の師は患者さんであった。
医学では、「患者こそ師」と言われてきたが、まさにその通りであった。
患者さんは、出会うたびに未熟な私に新たな課題、新たな視点を与えてくれたのである。
腰椎変性疾患による激しい痛み。
歩けなくなる不安。
自立した生活を失う恐怖。
そして何よりも、家族にさえ理解してもらえない孤独と絶望。
私はその現実を数え切れないほど見てきた。
そこでわかったことは、腰椎変性疾患は単に脊椎の病気ではないことである。
人から生きがいを奪い、人とのつながりを失わせ、時には人生そのものを破綻させる病なのである。
私は患者さんから、そのことを教えられた。
そして脊椎外科医として本当に向き合うべきものは、脊椎を超えてその先にある患者の人生なのだと気づかされた。
私が守るべきは、患者さんの人生であり、尊厳であり、生きがいであり、人との絆であり、
その人らしく生きる権利である。
だから私は今も学び続ける。
だから私は今も挑戦し続ける。
そして、患者さんに伝え続けたいと思う。
「諦めてはいけない」と。
この言葉は、私が患者さんに教えるための言葉ではない。
患者さんが私に教えてくれた言葉なのである。


