第1章 私が救いたかったもの ー痛みの向こうにある孤独と絶望ー

脊椎外科医として長年診療を続けてきたが、私が向き合ってきたのは単なる腰痛や下肢痛ではない。
もちろん腰椎変性疾患は身体的な痛みを伴う病気である。
腰痛。
臀部痛。
下肢痛。
さらに、しびれ、間欠性跛行。
患者さんは思うように歩けなくなり、立っていることさえ苦痛になる。
しかし私が診療の中で知ったのは、患者さんを最も苦しめているのは体の痛みそのものだけではないという事実であった。
歩けなくなる不安。
独居の営みや老夫婦二人の生活が破綻する不安
仕事を続けられなくなる不安。
家族に迷惑をかける不安。
生活の楽しみを失う不安。
将来を閉ざされる不安。
腰椎変性疾患は患者さんから少しずつ楽しみを奪い、自信を奪い、生きる意欲を奪っていく。
そして、さらに患者さんを苦しめるものがある。
それは「理解されない苦しみ」である。
腰痛や下肢痛は外から見えない。
骨折のように目で見て分かるものではない。
患者さんは激しい痛みに苦しんでいても、周囲の人にはその苦しみが伝わりにくい。
医師でさえ、画像の奥に潜む患者さんの悲痛な叫びを読み取れないことがある。
そして家族までもが、その苦しみから目をそらしてしまうことがある。
痛みが薄らいだ束の間に、溜まっていた仕事を片づけようと我慢しながら動くと詐病と誤解される。
職場の同僚も友人も、その人がどれほど苦しんでいるかを知ることはできない。
こうして患者さんは人々の中で生活しながら孤独を深めていく。
「怠けていると思われているのではないか」
「大げさだと思われているのではないか」
「誰にもわかってもらえない」
そんな思いを抱きながら日々を過ごしている人が少なくない。
私はそのような患者さんを数え切れないほど診てきた。
中にはうつ状態に陥る人もいた。
社会とのつながりを失う人もいた。
人生への希望を失いかけている人もいた。
診察室で病名を告げた瞬間に涙を流す患者さんがいる。
手術の成功を聞いて涙を流すのではない。
長い間誰にも理解されなかった苦しみの理由がようやく分かったからである。
私は脊椎外科医として、その姿を目の当たりにしてきた。
そこで気づいたことがある。
腰椎変性疾患は脊椎だけの病気、身体的症状だけの病気ではない。
人の人生を蝕む病である。
生きがいを奪い、
尊厳を傷つけ、
家族との関係を変え、
社会とのつながりを失わせる。
だから私は、画像だけを見て、メスを振るう医師にはなりたくなかった。
患者自身を見ず、MRIの所見だけで判断する医師にはなりたくなかった。
私が診なければならないのは、脊椎の病変だけではない。
その病変によって苦しみ続けている患者さんの人生である。
脊椎外科医としての私の仕事は、神経の圧迫を取り除くことから始まる。
しかし本当に目指すべきものは、その先にある。
患者さんが再び笑顔を取り戻すこと。
再び歩けるようになること。
再び家族や社会とのつながりを取り戻すこと。
その人らしい人生を取り戻すことである。
私はそのために診療を続けてきた。
そして今も、そのために歩み続けている。
だから私は、患者さんに諦めてほしくないのである。

